過去1度あった開発失敗談

この話は1度もしたことないので、たまにはそういう話もしようかと思います。

企業でのゲーム開発人生、全タイトル成功させた(捉え方は諸説ありますが)といっても過言ではないキャリアを歩んできているのですが

その中で1個、心残りのあるタイトルがあります。

それは「ヘルプで入ったプロジェクト」

当時やってた運営ゲームタイトルがあって、そこから完全新規のゲーム開発に差し掛かる狭間
その間に「ヘルプで対応してほしいプロジェクト」と呼ばれたプロジェクトがありました。

そこではバトル制作、出てくる3Dエネミーの設計と対応をやったんですけど
初めて”作業”をしたんですよね。

今まではどれだけ「このパートを全うしてくれ」と依頼をかけられても

自分のプライド的に、自身がメインで手掛けるゲームを失敗させたくない、という思いが強くて
出来ることはすべてやるスタンスで、時には上司に食いつき、手が足りないというならじゃあ自分がやる。となんでもやって、それが結果的に成功を引き寄せてたと思います。

でも、この1回のヘルプに関してだけは

次があるし

とか

そもそもリリースからの逆算で、今からどうしようもない

とか

根本システムが終わってる

などなど

言い訳をすごい持ったうえで「本気にならなかった」んですよね
だから失敗したとか、そういう話では無いし、そこで本気出したら成功したのか?というとif世界線はわからないわけですが
1つ言えることとしては

「本気にならなかった自分」

これはね、今でも引きずってて、ダサいなとは思ってるんですよね。

基本的に正当性バイアス強めなので、これも良い経験だったとは思って誤魔化してたりはしますけど、開発人生の中で1番ひきずってるんですよね。

なんかよく言うじゃないですか、悪い事したらその後悔を夢に見続ける、みたいな。
完全にそれだと思いますね

例えそれが世間にバレてない、今回で言うとスタッフクレジットに載ってないような関わり方をしたわけですが
とはいえ棘が残り続けるような感じ。

今日なんでこの話をテーマに記事を書いているかと言うと
同じような経験をして欲しくないから、ですね。

自分で言うのもなんですけど、多分1回で済んでいるだけでも中々珍しい、一般的には妥協の開発人生を送るクリエイターが過半数だとは思います。
もしくはそれが妥協と気付かない、気付けないもあり得るかもしれません。

でも、一定賢い人はわかります。わかるはずです。

これを”逃げ”や”妥協”と言うのなら、社会人になる以前からもっとそれに向き合うタイミングはあったと思います。

私は勉強は好きじゃないですし、テストに対するスタンスなんて一生妥協でした。

それに苛まれることはありませんが、本気で物事を考えるゾーンになると、強くのしかかってきます。

新卒の初手から、上司に恵まれないだとか、好きなタイトルじゃないとか、好きな関り方じゃないとか
逃げ方は無限にあると思いますが、腐らず、後悔のない全力を出せたら、それは後の財産にもなるので

意識していただければ幸いです。

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